ロシアの荒野を舞う、荒鷲の群れ

付録ゲーム『鷲たちの黄昏』ゲーム分析&プレイレポート (21号)


テーマ? システム? ゲーム?
 第一次世界大戦が始まる前の数十年間をベル・エポックと呼ぶ。平和で楽天性に満ちた時代であったことからこう呼ばれるが、民族紛争の絶えなかった東欧やバルカン半島の国々にとっては無縁の言葉だったようだ。
 第一次世界大戦とは、そしてその東部戦線とは、いかなる戦いであったのだろうか? 飛行機、戦車、毒ガス、機関銃。これは西部戦線の話である。東部戦線最大にして唯一の武器、それは鉄道だったのだ。
 日本ではあまりにも知られていないのだが、第一次世界大戦の東部戦線は非常にシミュレーションゲームに適した舞台なのである。質のドイツと量のロシア。性格が正反対の勢力が正面からぶつかり合う。蝶のように舞い、蜂のように刺す完成されたアウトボクサーと、殴られても殴られても倒れずに向かってくる荒削りなインファイターの壮絶な試合を見ているようである。
 テッド・レイサー氏はそれに魅せられているのだろう。本誌8号付録の『1918』(1918年の西部戦線における独軍最後の攻勢)をはじめ、『1914』(1914年の独軍による対仏シュリーフェン・プラン)、『the Great War in Europe』(フルマップ2枚、ユニット1200個のWWTフルキャンペーン)、『the Great War in the near east』(WWTのコーカサスから中東の戦い。前作と連結可)と数々のWWTゲームを発表し、そしてそれらはいずれも高い評価を得ている。
 WWUにおける独ソのハリコフ戦に見られるような、両軍が攻勢のイニシアティブを奪い合い、劇的な展開をみせるゲームは人気が高い。これはゲーム・デザインにおける、テーマ選択による成功例である。
 しかし、テーマがマイナーである場合、異なった視点から作品をアピールしなければならない。それはルール・システムか? ゲーム(競技性)か?
 前者はトリッキーなチット・システムや、複雑なロジスティクスやドクトリンなどを独特の手法で再現した時に完成度が問われる。
 そして、後者をアピール・ポイントとしているのが、「When Eagles Fight」である。つまり、ゲームの駆け引き、おもしろさで勝負しているわけである。だてにチャールズ・S・ロバーツ賞を受賞しているわけではなさそうだ。

最後の王朝戦争が始まった
 ルール・システムは非常に明快にまとめられている。英語版が発売されてから、重大なエラッタ(マップ上の町がいくつも脱落していたのだ)が発表されているが、今回の日本語版ではすべて改訂済みである。
 移動→戦闘といった単純なターン・シークエンス、ZOCなし、パワーレシオ戦闘、戦闘結果はステップロスオンリー(今回は1ヘクスだけ退却があるのだが)という組み合わせは、今ではXTRシステムともいえる完成型をなしている。システムを単純にしてプレイングに対する抵抗を取り除く工夫が凝らされているのだ。もちろん、これにはユニット数やマップの大きさ、プレイタイムなども関係してくるのだが……。

タンネンベルク会戦(第1ターン)
 露軍先攻なのだが、第1ターンは独軍プレイヤー・ターンから始まる。
 通常のゲームでは攻める側が先攻という図式が圧倒的に多いが、「When Eagles Fight」では第1ターンの露軍プレイヤー・ターンを省略することによって、独軍は事実上先攻のメリットを併せ持つ。
 独軍は、D-ELIM'd「タンネンベルク・ギャンビット」に従い、移動と戦闘を行った。これは非常に重要な一手である。
 もちろん、これが終わったところから始めれば……と考える方もいるだろうが、キャンペーンにおけるタンネンベルク会戦の位置付けを考えるとオミットできるはずはない。また、両軍プレイヤーにとっても、オーベル・オストを利用した突破戦闘の練習代わりにもなる(特に露軍プレイヤーは、その威力を目に焼き付けておくべきだ)。
 冒険心溢れる“もう一つのタンネンベルク”もたしかに魅力的ではあるのだが、失敗の確率が高いことと、その後の展開で損害が多くなることが原因で二の足を踏んでしまった。
 以前に一度試してみたが、タンネンベルク周辺の、本来ならば包囲殲滅されるはずのスミソノフのユニットが生き残ってしまうのだ。彼らは東方の本隊に復帰するために間を遮る独軍を攻撃せざるを得ない。なおかつ独軍も二手に分かれてしまうため、露軍の移動次第では低戦闘比での攻撃が多くなってしまう。戦闘結果表はかなり消耗の多いタイプ、しかも独軍は補充が乏しいときているので、できるだけ戦闘は避けたい。
 独軍は、正規軍団、包囲などの有利なDRMを利用して高戦闘比で攻撃をかけ、戦闘結果“B”の突破前進を最大限に活用すべきである。これが露軍を包囲できる唯一の手段なのだから。
 そして、戦闘のダイス・ロールは5を連発。通常戦闘、オーベル・オスト戦闘ともに大成功である。幸運なことにまったく損害を受けていない。
 一方、墺軍は3ヶ所の攻撃を強制されているのだが、しばらく悩んだ末に町の防衛を重点に置くことにして、損害を覚悟で最低限の戦闘比で攻撃することにした。この方面は補給源である町が特に少なく、露軍にとってこれがネックになるはずだからである。墺軍は西方から背後に回られないように気を付けよう。
 この特別ルールで、墺軍の戦線には必ずどこかに弱いところができるようになっているのだが、今回は重要都市Lemberg(2927)の北側のちょうど戦線が折れ曲がったところをそのようにした。
 戦闘の結果は合計4ステップの大損害。露軍は1ユニットを失っただけであった。
 独軍とは、まったく対照的な墺軍であった。
 
露軍の抵抗(第2ターン)
 露軍プレイヤーは増援と補充で再建したユニットを、独軍の進撃予想路と独軍の側面を脅かすことのできるWarsaw(2419)、その南にあるIvanograd(2422)に配置し、Insterburg(2514)からOsewiec(2816)、そこからBrest-Litovsk(2820)と二本の直線を繋げた戦線で対抗してきた。
 墺軍と対峙している側は、弱くなっているLembergの北側の屈折部に戦闘に有利なDRMを与えるスタフカを配置して攻撃してくる。
 タンネンベルクの戦いで勝利したものの、露軍は依然強力である。しっかり守らないと、露軍プレイヤーが変な欲を出して計画がご破算、なんてことにならないとも限らない。
 しかし、弾薬不足決定の目はいきなり6。筆者も2個のマーカーを分けてもらい、Insterburgの露軍2ユニットの上に置いた。これが置かれたユニットは、戦闘力が半減するのである。このままでは、1R軍団がタンネンベルク会戦に生き残ったロシア歩兵軍団と共同して、4:1の包囲攻撃を受けてしまうところだった。戦闘比が下がったものの、戦闘結果は“1/1”。痛み分けというところだが、露軍は包囲されていたユニットを除去したので、割が合わない。
 やっと回ってきた同盟国軍プレイヤー・ターン。まずは4ユニット撃破され、各地で戦線が破られている墺軍から手をつける。後方の要塞からコンバートした歩兵軍団を無人のLembergへ派遣し、Czernowitz(3229)からLemberg、Przemysl(2726)の線まで組織的後退を行う。
 しかし、独軍の行動には小考した。独軍の南側面には戦線がないので、迂闊に手を出すと大きく囲まれて手痛い反撃を受けそうなのだ。こう考えるとオーストリアに出した1個軍団は痛い。
 結局、北のInsterburgの弾薬不足になっている露軍2ユニットを6ユニットで攻撃し、結果は“0/2”。これで、Konigsberg(2314)に接敵しているロシア2個軍団に補給が届かなくなるので、後退していくことだろう。6が出ていれば、突破して包囲も可能だったのだが、そこまでは言うまい。
 戦闘後前進は1ユニットだけ行う。次ターンの戦略移動で補強できるので、これで十分である。独軍は通常移動した後にターンをまたがって戦略移動、つまり露軍の通常移動が始まる前に連続で2回移動できるようになっているのだ。
 このターン、露軍の7ユニットを除去した。

鉄壁のWarsaw要塞(第3〜4ターン)
 しかし、露軍はそれをはるかに上回る数のユニットを登場させてくる。ほとんどを独軍方面に振り分け、Nieman河に沿った2ユニット・スタックの新しい戦線を作り上げた。どうやら、独軍の前進を直接的に妨害する戦略のようだ。
 そして、オーストリアの重要都市Lembergが包囲されてしまった。プレイヤーズ・ノートには「あまり固執しないように」と書いてあったことを思い出す。
 さておき、独軍は戦闘において今度は6を連発し、4ユニットを除去。攻撃目標の露軍ユニットの防御力を弾薬不足で半減しておいたことが、戦果の拡大につながった。
 Warsawに配置された露軍歩兵軍団もいつ動くんだろうかと心配なのだが、この配置は非常に効果的な作戦であった。独軍の後方に脅威を与え続け、必要とあらばオーストリアに向かう軍と共同でき、なおかつWarsaw自体の防衛も安定させられる。陣地と合わせて9防御力に-3DRM、包囲の効果無視では、正面からの攻撃では陥落しない。第7ターンに登場する重砲兵を待たなければならない。
 Warsawは第2ターン以降、4〜5ターンおきに行われるロシア革命発生チェックのDRMとなる都市であり、ここが早期に占領されていると第6ターンの革命発生チェック(サイコロ1個)で6の目を出すと、露軍はその時点で敗北してしまうのである。イベント「L」の「平和をパンを、土地を!」も、同盟国軍に三都市以上支配されている場合にのみ有効なので、この都市の重要性はいっそう認識される。

中央の戦い(第5〜6ターン)
 第5ターンから2個のサイコロを振ってイベントが発生する。そして、いきなり「イタリアが中立を維持」する宣言を聞いた。同盟国軍には朗報である。今後、墺軍のユニットや補充ポイントが損なわれることはなくなった。
 ロシアの補充能力は依然高いが、独軍も次々と増援を受け取り、戦いはこれからといった感じである。
 露軍プレイヤーは独軍を反撃したそうに何度も自軍スタックを覗き込んでいた。しかし、「奇数ターンは独軍にオーベル・オストがあるので、攻撃してかえって防御が薄くなるかもしれないので、極力避ける」とのことであった。「When Eagles Fight」では、露軍プレイヤーは独軍スタックを覗くことができないので、攻撃の決断には勇気がいるのだ。
 オーストリア戦線では、Lembergを陥落されたものの、Krakowを狙う戦線最西端の4:1攻撃を撃退した。このゲーム、戦闘比が5:1以下では1の目は必ず攻撃側の一方的敗北なのである。
 しかし、困ってしまった。北は重要都市Kovno(2913)までわずか2ヘクスだが厚い壁に阻まれ、Warsawは歩兵軍団がスタックして手の出しようがない。地形の平坦な南にスイングしたいのだが、弱くなった北を突破されるとKonigsberg、Danzig(2115)が危険にさらされる。といって、正面攻撃ばかりでは埒があかず、次第に消耗戦に引きずり込まれてしまう……。
 だが、ここでオーストリアを攻める露軍には、Ivangorodより西に補給源となる町がないことに気が付いた。
 独軍と墺軍は戦略移動を駆使して南北から挟撃し、Krakowに向かっていたロシア軍2ユニットの補給線を遮断することに成功する。
 しかし、露軍プレイヤーも黙ってはいない。同じように戦略移動で戦力を集中して救出作戦を成功させるが、その隙を突いてドイツ軍はIvangorodの要塞を攻略する。さらに、2個騎兵師団がいまだ戦線の存在しない中央を突破して、Lublin(2622)、Kholm(2822)とRava-Ruska(2824)といった後方の町を次々と占領していった。騎兵部隊は突出しても戦闘前退却をできるので、補給さえ繋がっていれば簡単にやられることはないのである。
 北でもお膳立ては揃っていた。弾薬不足にしておいた海岸線にいる露軍2ユニットを5個軍団で攻撃する。しかし、全滅させたものの突破には失敗。実は、最初6個軍団での攻撃を予定していたのだが、側面を守るために1個軍団を引き抜いてしまっていたのだ。それがあれば突破は成功し、戦線の背後に出られていたはずだった。
 この作戦が成功していれば、我々の眼前にはロシアの大地が広がっていたはずなのだが……。
 『When Eagles Fight』では、両軍プレイヤー・ターンの最後にある損耗フェイズで、補給切れになっているユニットはすべて除去される。このため、露軍プレイヤーも必死に攻撃してきたのだろう。このルールにより、戦線後方の補給切れユニットを何ターンにも渡って管理しなくてもよくなっているので、プレイングは非常に明快である。

独軍怒濤の進撃(第7〜9ターン)
 露軍プレイヤーはBrest-Litovskを起点に逆S字形の一本に繋がった戦線を作り上げ、独軍騎兵部隊を補給切れにしようと画策してきた。
 まずは、第7ターンに登場した重砲兵ユニットと6個軍団で、目の上のこぶであったWarsawを攻略する。
 オーベル・オストを投入した北でも、Osewiecを陥落させ、続く第3次Insterburg会戦でも2回の攻撃がいずれも“B”。大規模な突破でNieman河を渡河し、一気にSzawli(2811)まで進出する。
 かなり突出した形になっていたのだが、露軍プレイヤーはしばらく黙考して後、これら独軍3ユニットと本隊との隙間のヘクスにずらりと3ユニット・スタックを並べて、補給線を切る作戦に出てきた。
 しかし、ここでも深刻な弾薬不足が露軍を襲った。第7ターンからは平均10ユニット、つまり独軍プレイヤーにも5ユニット選べるようになった。弾薬不足の効果は絶大である。
 史実では、1914年11月(第4ターン)にトルコが同盟国側に立って参戦している。この事件で、黒海と地中海を繋ぐダーダネルス、ボスポラス両海峡が封鎖され、ここを通っていた当時のロシアの輸出全体の50%(穀物だけなら90%!)、そして、もちろんそれに応じただけの物資が流入が完全に止まってしまったのである。
 弾薬不足のルールには、この他にも当時常識だった通信電文の暗号化が露軍ではいまだ制度化されていないこと(なんと、彼らは平文で通信していたのだ!)、兵卒の多くは文盲で、複雑な作戦は実行不可能だったこと、ニコライ大公が「諸君、盗みはよそう!」と麾下の将軍たちに叫んだというエピソードを作り上げるほどの政治腐敗なども加味されているかもしれない。
 このため、突破したものの孤立していたドイツ3個歩兵軍団に対する攻撃は、サイコロの目がまったく奮わなかったこともあって、いずれも撃退される。
 独軍はこの戦闘で弱くなった露軍スタックを狙って東西から挟撃、さらにもう1ユニット増援された重砲兵も投入して、またしても大きく突破に成功したのだった。露軍プレイヤーも、ここにはスタフカを置いており、河川のDRMもあったのだが、独軍は重砲兵、包囲、正規軍団の修正で、それでも+4DRMを保持していたのだった。
 終わってみると、独軍は続くNieman河会戦でも勝利して、攻略したKovno周辺には4ヘクスの突破口が開いていたのだった。
 果敢に攻撃したものの、弾薬不足とサイコロの目に振り回され、ちぐはぐな攻撃に終始してしまった露軍。この計画の失敗、そしてそれに伴う損失は、露軍プレイヤーのモラルを一気に下げてしまったようだった。
 しかし、独軍から見ても、露軍の防御は最高のものである。ということは、この独軍の進撃は誰も止めることができないのだろうか?

露軍の撤退(第10〜11ターン)
 この時期、イベントは「連合軍が西部戦線で攻勢」「連合軍、西部戦線で大攻勢」を連発。どうやら、露仏の関係は「ロシアの悲鳴にフランスが助け船を出す」という、史実とは反対の形のようだ。
 露軍プレイヤーは南から危機的状況にある北にユニットを引き抜きたいのだが、多くがいまだオーストリア領内にあって戦略移動させられない。このため、露軍は大きく後退し始め、Brest-Litovsk、Kholm、Rava-Ruska、そして重要都市Lembergまでも放棄し、オーストリア国境から撤退していった。
 一方、北では露軍は2ユニットのスタック防御から1ユニットの二線防御に切り替えてきた。「重砲兵が2枚もあると、3ユニット・スタックで守っても守りきれない」とのこと。たしかに戦闘結果表を見ると、重砲兵を投入すると1:1の戦闘比でも4以上の目で戦闘結果“1/E”である。戦闘には負けても、突破前進は許さないということらしい。なるほど、これなら弾薬不足の影響を後方のユニットで軽減することもできる。第15ターンのブルシーロフ攻勢に照準を合わせて、自慢の回復力で戦力の充実を待つという作戦か。
 こうなると、露軍ユニットを一枚ずつめくっていくしかない。7ユニットを除去するが、北では全体的に1ヘクス前進しただけ。ようやく、Riga(2908)とDvina河に接敵したのだった。
 しかし、露軍は南からどんどんユニットを回して再び二線防御を形成するので、兵力が低下した様子はまったくうかがえない。
 独軍は続く攻撃に1を連発してしまい、オーベル・オストを投入したにもかかわらず、重要都市Vilna(3114)の攻略に失敗してしまった。独軍の6枚のユニットが裏返ってしまった。今までの勢いが嘘のようだ。
 第11ターンには露軍革命発生チェックがあるのだが、1D6で11以上となっている。DRMとなる都市は3つしか取っていないので、どう転んでも発生する様子はない。このあたり、露軍は敗北の連続のように見えるが、ゲームの勝敗に関しては、露軍プレイヤーの思惑通りにことが運んでいる。

独軍、苦戦(第12〜14ターン)
 イベント表が交換された最初のイベントは、「同盟国軍がセルビアで大攻勢を行う」。ということで、独軍4ステップ、墺軍2ステップに撤収命令が下り、セルビアに向かっていった。
 戦争が一年も経過すると、露軍の動員はピークを迎え、露軍プレイヤーの手はついに3-4-3ユニットに手が伸びる。つまり、5-6-4以上のユニットはすべてマップ上にあるということだ。
 さらに、さんざん露軍が散々泣かされた弾薬事情も大きく解消されている。
 一方、同盟国軍は蓄積していた補充ポイントをすべて消費して回復に務め、戦線全体に渡って攻勢を維持する。南の要塞2個を除去し、北ではやっとのことでVilnaを占領、マップ北東端のPetrograd(3700)を目指して3ヶ所で戦闘後前進を行い、Rigaも半包囲状態となった。ここはちょうど戦線がくの字にへこんで戦力を集中しにくいところだが、露軍にとっても一番痛い場所のはずなのだ。
 独軍はこの間、Riga、Vilna間のNieman河突出部を膨らます作業に従事したのだが、限定的な攻勢でMinsk(3416)攻略の礎となるプリピャチ沼沢地北部の町Branovichi(3317)を占領できたことは大きな戦果だった。
 ただし、独軍もこれらの戦闘で4ステップの損害を受けてしまったのだが。

攻勢準備(第14〜15ターン)
 「ロシア皇帝が指揮権を掌握」した。以後、露軍にスタフカは登場しなくなる。さらに1ヶ月後には「露軍、コーカサスで敗退」の報が入り、ロシア皇帝は自らの無能さを改めて象徴することになった。露軍は1個歩兵軍団を撤収、その救援に向かわせたようだ。
 ブルシーロフ攻勢に備えて、親衛軍団3ユニットが墺軍方面に登場する。そのまま攻撃に入るが、結果は“1/0”。露軍親衛軍団は補充不可能なので、もしもの時にと随伴していた歩兵軍団が身代わりに除去される。
 しかし、その他の戦闘は優位に進め、露軍の大攻勢の下地は作られていく。
 独軍もRiga攻略作戦を発動するが、サイコロの目が奮わず両軍ともステップロス。要塞ユニット+4ステップの17防御力では難攻不落の感がある。しかも、この重要都市は補給の関係で包囲もできない。正面攻撃では、現状でもかなりの戦力と重砲兵、オーベル・オスト、そして幸運が必要となる。
 その側面でも、独軍は町から4ヘクスという補給範囲ぎりぎりのところにいるので、これ以上前進できない。Dvina河を越えると町が極端に少なくなっており、Rigaを攻略しないことには、これ以上北には進めないのである。
 史実では、Rigaは簡単に陥落していたが、ゲームでは一つのドラマティックな戦いを演出することだろう。ここを露軍が維持し続けることで、独軍は北のRigaと東のMinsk、Smolenskの二正面作戦を余儀なくされる。つまり、ゲーム後半、西部戦線とオーストリアに兵力を取られていく独軍にとって、かなり苦しい戦いを強いられるわけである。
 東では、Minsk前面の露軍防御線を3ヘクスに渡ってを引き剥がし、攻撃準備を整える。次ターンはロシア革命発生チェックがあるので、Riga、Minskといった重要都市はぜひとも陥としておきたい。現在、4都市占領とロシア皇帝指揮権掌握で+5DRM、6の目で革命が発生するようになっている。ここでRigaとMinskを占領できれば、1/2の確率で革命が発生するようになる。
 しかし、どちらの都市も占領することはできず、ロシア革命発生チェックには何も起こらなかった。

ブルシーロフ攻勢(第16〜18ターン)
 露軍がブルシーロフ攻勢を発動した。しばらくすると、西部戦線でも「連合軍が大攻勢」、肝心な時に歩兵軍団2ステップと重砲兵1ユニットが撤収させられてしまう。もしかして、西部戦線はブルシーロフ攻勢と連携しているのか!?
 ロシアの墺軍に対する攻撃は+3DRM。墺軍はなすすべなく、ルーマニア国境の重要拠点Czernowitz(3219)を失う。
 しかし、その北では戦闘比オーバーでDRMを受けられないという事態が発生する。ブルシーロフ攻勢のDRMは1:1〜2:1の戦闘比でしか適用されないのである。露軍プレイヤーは同盟国軍のスタックの中身を見ることはできないので、こういうことになったのだ。
 この後、「攻撃力を集めすぎると修正が受けられないなんて……」と細かい計算に追われる露軍プレイヤーであった。
 ブルシーロフはルーマニア国境付近からオーストリア国内に侵入し、次々と墺軍ユニットを撃破していく。露軍は第20ターンまでにオーストリア国内の2個の重要拠点を確保すれば勝利するので、やる気満々である。そう、あと1個なのだ!!
 独軍はこの事態を深刻に受け止め、墺軍救援に向けて数個の歩兵軍団を派遣する準備を始める。手始めに送った1個歩兵軍団はカルパチア山脈の山道に配置して、露軍の突破に備えた。しかし、こんなことばかりしていては、独軍は攻勢を維持できない。
 このターンの独軍は、Minskの北で突破に成功して1ユニットを包囲した。Smolenskに通じる4ヘクスの突破口が開いたものの、その余勢を駆ることはできず、Minskを包囲したのみであった。
 もはや、独軍には限定的な作戦しか行う能力しかないのだ。

崩壊の序曲(第18〜19ターン)
 イベントのサイコロの目は11。待ちかねた「平和をパンを、土地を!」である。ロシアでは、首都ペトログラードで暴動が起きたようだ。次のロシア革命発生チェックで+1DRMである。
 ブルシーロフ攻勢の終わった露軍だが、墺軍の戦線を後退させただけで決定打を欠いたような感じである。さらに攻撃してくるものの、もはや以前の勢いはない。
 しかし、各地で攻撃を成功させ、Brody(3125)、Tarnopol(3126)を占領し、重要都市Lembergまで迫ってきた。
 この知らせを聞いた独軍はさらに2個歩兵軍団、3個歩兵師団をオーストリアに送る。Lembergを取られると負けなので、防衛ラインは一歩も引けない状態になっている。
 このため、墺軍と独軍が共同して果敢に反撃に出ることにした。これには、戦線を有利な形で作りたいという思惑があった。攻撃においては独軍の存在は非常に有効で、突出していた露軍ユニットにそれぞれ効果的な打撃を与えることができた。
 一方、ここ数ターンに渡って次々と西部戦線、墺軍救援に兵力を派出する独軍は、埒のあかないRiga攻略をあきらめ、戦線をいったんDvina河まで下げて余剰戦力を作り出し、それを東に向けた。
 その結果、重砲兵に支援させたMinskは一回の攻撃で陥落、その北側3ヘクスに並ぶユニットも次々と撃破した。オーベル・オスト戦闘では突破にも成功し、Orsha、Mogilev(3816)に迫った。
 露軍プレイヤーは除去された6ユニットにショックの色を隠せない。この頃になると露軍といえども補充が乏しくなっているのだ。
 攻めなくても、前進しなくても、ロシアに革命を起こせば同盟国は勝利するのである。
 しかし、この時期になぜかしらルーマニアが参戦。ここの国王はカイザーの親戚なのに……。

ロマノフ王朝の最後(第20ターン)
 オーストリア国内には合計4個軍団の独軍がいる。露軍はLembergの両翼を攻撃してくるが、南側のスタックの下に強力なユニットを隠しておいて、“3/0”とさんざんな目に遭わせてやった。
 独軍はMinskを占領したことで滞っていた戦局を打開でき、新たにMogilevを占領する。ここはSmolensk、Gomel(4019)といった重要都市を攻める上での補給源となる、戦略上重要な町なのである。
 ここでロシア革命発生チェック。現在、「ロシア皇帝、指揮権掌握」、「平和をパンを、土地を!」のイベント、ブルシーロフ攻勢発動、同盟国軍による5個の都市占領で合計+8DRMである。3以上の目が出れば、革命が発生し、皇帝は失脚、ロマノフ王朝にピリオドが打たれる。
 そして、出た目は4。革命は発生したのだった。

戦後の審判
 WWTは世界大戦、近代戦という性格上、政治的シチュエーションによる影響力の多いことが特徴である。「戦争は外交の一手段である」というクラウゼヴィッツの言葉がよく似合う。
 『When Eagles Fight』では西部戦線やイタリア戦線、不安定なロシアの内情をイベントで処理することによって、デザイナーがゲームをコントロールすることに成功している。たとえば、今回出なかった「ヴェルダン攻勢」では、独軍は2ターンに渡って合計12ステップの歩兵軍団と重砲兵をマップ上から撤収させなければならない。これは事実上、独軍の攻勢の終わりを意味するものなのである。
 そして、これらをダイス・ロールで決めることに大きな意味がある。いつ起こるかわからなくすることで、プレイングに緊迫感を与え、他の多くのゲームに見られるような、発生時期の決まった強制的なルールにつきまとう矛盾を取り除いている。また、リプレイアビリティの向上につながっていることも見逃せない。
 ディベロップもデザイナーが費やした時間に比例して、高いレベルで行われているようだ。
 まず、補給源となる町、都市の配置は非常に巧妙に考えられていることが、今回の対戦で実感できた。
 また、1ステップしかない露軍、裏返ってもあまり戦闘力の低下しない独軍、ステップ・ロス状態でしか補充できない墺軍と、ユニットの戦闘力とステップ差、補充などのルールは三軍の特徴をよく引き出している。しかも、戦闘力は5〜7の間で微妙なバランスの上に成り立っている。露軍は特に、6-7-4のユニットをうまく活用することが勝利の鍵である。
 オーベル・オストは独軍を戦略的に優位に立たせるものである。二回目の攻撃の有効性をしっかりと認識し、突破前進と連携できれば、その威力は計り知れないものとなる。
そして、独軍正規軍団の+1DRMは作戦/戦術レベルでの優位を表しているといえる。
 スタフカを攻撃に使うか、防御に使うかで露軍の戦略に大きく影響を与える。戦闘修正もさることながら、弾薬不足マーカーを置けなくすること、つまり戦闘力を確保することが主な焦点となるだろう。
 増援と撤収においても、増援ユニットの登場を遅らせられないことや、イベントで強制的に撤収が行われ、できなければその時点で敗北するという強い態度、そして独軍の補充の少なさなど、『When Eagles Fight』の舞台があくまでもドイツにとって副次的な戦線であったことを再確認させられる。
 今回の対戦は延べ15時間にも及び、これはミニ・ビッグゲームと呼べるサイズである。しかし、数多くのイベントやふんだんに盛り込まれている駆け引き的要素のおかげで、両軍プレイヤーとも最後まで活発に楽しむことができた。デザイナーは独軍vs露軍、露軍vs墺軍の図式を明確にすることにより戦略レベルで、スタフカとオーベル・オストを交互のターンに組み入れることで作戦レベルで、両軍にイニシアティブを持たせるチャンスを与えているのだ。
 露軍は第15ターン以降にブルシーロフ攻勢を発動できるので、どんなに攻められたとしても最後の望みを捨てないで欲しい。これは一発逆転を狙える切り札なのである。それに、イベント次第では形勢が逆転する可能性だってある。そう、革命さえ起きなければロシアは勝利することを忘れてはいけない。
 ドイツのスピード対ロシアの巨大な人口と広大な国土。当時の軍隊移動能力は一日30キロ程度しかなかったが、鉄道によってまったく新しい局面が開けた。
 それ以来、独軍参謀本部ではいかに一定時間に兵力を集中させられるかという技術の研究が進み、その成果の一つが東プロイセンの鉄道網整備という形になって表れる。
 もちろん、東部戦線の独軍も機関銃を数多く持っていたし、1916年初春には塩素ガス弾が残存物資消化という形でクロパトキン率いる部隊に対して使用されている。ブルシーロフも攻勢前には航空偵察で墺軍の陣地の状況を研究しているという事実はあるだが、やはり東部戦線においては「鉄道」こそが戦略兵器だったのである。
 そして、兵士たちが自分たちの手で戦っていた時代の最後の戦争の姿を、『When Eagles Fight』は見せてくれるのである。

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更新日 : 2000/08/17 .