ロンメルになれなかった男

付録ゲーム『ロンメル・アット・ガザラ』アフターアクションレポート (15号)


1942年秋、英中東戦域司令官C・オーキンレック大将は「全司令官及び各参謀長宛」に次のような声明を通達したという。
 「いまや、我らの“友人”ロンメルは、まるで魔法使いか怪物のように見られようとしている。これは危険な事実である。彼は極めて精力的で、かつ有能な人物であることに疑いはないが、スーパーマンではない。私は諸君が全力を挙げて、ロンメルが普通のドイツ人将校以上の者ではないことを立証するよう、心から期待する……。」
 この異例の布告は、ロンメルが当時の英軍にとって、どれだけ恐怖の存在であったかを物語っている。
 英首相チャーチルは「Master of War」と賞賛し、戦史家は筆をそろえて「ナポレオン以来の名将」と謳っているが、彼がこれらの名声を絶対的なものにしたのが、この北アフリカ戦役なのである。

エルウィン・ロンメルという男
 ロンメルは1891年初冬、数学教師の息子として生を受ける。家系に軍人はいなかったが、彼だけは第一次大戦に従軍し、数々の戦勲を立て、独創性に富み勇敢で、優秀な将校として評価を得る。
 ナチス党が政権を握り、ドイツの再軍備が始まると、彼は国防軍に迎えられる。そして、ポーランド戦で近代的電撃戦を目の当たりにした時から、とりわけ戦車に興味を抱いた。
 実のところ、海軍に憧れていた彼は「軍艦が砲を運ぶ道具なら、戦車も砲を運ぶ道具だ。」と唱え、戦車が砲撃しながら突破前進する戦術を提唱する。当時、戦車にとって移動中の砲撃は弾薬の浪費と見なされ、砲撃は停止して行うというのが常識であり、規則であった。
 しかし、彼は続けた。
「軍艦は動揺しながら砲撃している。戦車でもできるはずだ。」
 対仏戦で、ロンメル率いる第7装甲師団は大戦果を挙げながら、予定より一ヶ月も早くシェルブールを攻略し、その戦術の有効性を立証してみせたのだった。
 この功績によりヒトラーは彼に最高鉄十字章を授け、言った。
 「ロンメルのような将軍が5人いたら、我がドイツは北半球を制覇できるだろう。」
 また、ロンメルにまつわるエピソードには、必ずと言っていいほど彼の鋭い“第六感”が登場する。
 当時の第21装甲師団長ラベンシュタイン中将は、こう語っている。
 「ある日、司令部でロンメルと話をしていると、英軍に攻勢の兆候はここ数日全く見られないのに、突然、この司令部は危険だから移動しようと言い出した。翌日、彼の言う通り、司令部が攻撃されたのだ。
 この他にも、砂漠で立ち話をしていると、ここは危険だから少し離れようという。広大な砂漠の中でどこでも同じじゃないかと思っていたが、5分もしないうちに敵の砲弾が降ってきて、さっき立っていた場所で爆発したんだ。」
 ロンメルの視察は大胆なものだったので、彼の乗る自動車が敵弾の標的になることも多かった。しかし、たとえ運転手が死んでも、そのたび彼は自分で運転して帰ってきたのである。
 ロンメルは、兵士の士気と練度の維持に異常なほど気を使ったことでも有名である。彼はどんなに激しい戦いでも常に先頭に立った。「自分のショーは自分で演出する。」。最前線の兵士以上の危険を受け入れることで、明確な(そして強力な)リーダーシップをアピールした。
 また、多数のトラックを走らせて砂煙を巻き上げ、装甲部隊のように見せたり、捕獲車両を利用したり、戦車の模型を並べたりして敵の目を欺くのが得意であった。そして、敵が優勢な場合は決して戦わない狡猾さも備えていた。“砂漠の狐”と呼ばれる所以である。
 ロンメルにとって、戦車を軍艦のように操れる北アフリカのこの広大な砂漠こそ、最も理想的な戦場だったのである。

「ガザラの戦い」
 ゲームルールは本誌13号付録ゲーム「ブダペスト1945」と同じシステムだが、デザイナーは本誌英語版編集長のタイ・ボンバ氏である。昨年暮れにはこのシステムを発展させてバルジの戦いを扱ったビックゲーム「A Wave of Terror」が発売され、高い評価を得ている。いずれのテーマを見ても、装甲部隊の突破作戦を扱うのに適したシステムであることがわかるだろう。
 ゲーム開始時にマップ上に配置されるユニットは、わずかに枢軸軍12個、イギリス軍23個。これにイギリス軍の増援ユニットが3個だけしか登場しないので、非常に手軽なゲームとなっている。
 しかし、ユニットの移動力はドイツ軍26、イタリアとイギリス軍の機械化ユニットが20、非機械化ユニットが12と大きく、ダイナミックな機動戦が展開される。実際にプレイしてみれば、これがなかなか考えさせてくれる。決して簡単なゲームではない。

ドイツ軍の作戦研究
 勝利条件:「ロンメル・アット・ガザラ」も他の多くのゲームと同じように、現在最もポピュラーと思われるVP制を採用している。
 イタリア軍ユニットだけが2VP/ステップ、ドイツ軍とイギリス軍は兵科に関係なく1VP/ステップである。なぜ、イタリア軍が?と思われるかもしれないが、ルールブック4.3項のデザインノートを読んで頂ければ、なるほどと納得してしまう。これに関しては、ガザラの戦いに続く11月のエル・アラメイン戦で死守命令を無視したロンメルに対し、ヒトラーの口から発せられた言葉が一助になるだろう。
「……しかし、トリポリは死守しなければならない。失えば、イタリアは単独降伏する可能性がある。アフリカ軍団など問題ではない。」
 イギリス軍はマップ西北端の1200ヘクスを支配すると50点を獲得(ただし、補給線が繋がっていなければならない)し、枢軸軍がトブルクを占領、またはイギリス軍が全面撤退を宣言した時点で、枢軸軍はターン数に応じたVPを獲得し、ゲームは終了する。
 もし、どちらも達成されないままゲームが終了した場合はイギリス軍の勝利となる。
 作戦計画:当時のロンメルは敵戦力を正しく把握しないまま、トブルク攻略作戦  ヴェニス作戦  を立案したと言われる。主な原因は偵察用装甲車の不足による情報収集の不徹底であるが、楽観主義者の彼は英軍を過小評価してしまっていた。
 ここで疑問が浮かぶ。もし、彼が敵戦力に関する全ての情報を正しく掴んでいたら、これほどまで大胆な作戦を立てただろうか? 恐らく、答えはノーだろう。
 ただ、分散している英機械化部隊を早い段階で各個撃破できれば、ドイツ装甲師団への脅威はなくなることは間違いない。今回は、部隊の前進よりもここに重点を置いてプレイしてみたい。
 装甲師団の活用法:「ロンメル・アット・ガザラ」ではアンバランスなターンシークエンスを用い、ゲーム序盤のイギリス軍に移動制限を設けることによって、当時の両軍の“質”をよくシミュレートしている。枢軸軍機械化ユニットだけが毎ターン2回移動できるので、彼らはイギリス軍に対して常に圧倒的な戦術的優位を確保している。
 しかし、戦闘結果表を見ると、英軍ユニットに確実にダメージを与えるためには3:1以上の戦闘比がほしい。英自動車化歩兵ユニットの防御力は12なので、装甲師団の単独攻撃ではこれが達せられない。
 また、他のゲームと比べて包囲の効果が大きい(被包囲ユニットは移動不可、戦闘時のダイスロールは最高+2、敵ZOC退却時の追加ステップロスetc.)ので、2個装甲師団を協同させて、相互支援と火力の集中をはかるのがよいだろう。
 「ブダペスト1945」ではあまり使用しなかった偵察ユニットだが、それが可能になる第2ターンからはすぐに分派させて、補給線の分断を主任務に活用したい。
 補給線の設定:ここで注意したいのは、補給状態の確認はイタリア軍→イギリス軍→ドイツ軍の順で行うことである。ここでもドイツ軍の“質”が表れている。
 OOSになったユニットはZOCを失うので、たとえドイツ軍ユニットは包囲されていても、隣接するイギリス軍ユニットもOOSになれば、その補給線は繋がる可能性がある。
 友軍ユニットの存在も敵ZOCを打ち消す効果があるので、前述した装甲師団の協同はさらに有効なものになるだろう。
 トブルク要塞の攻略:トブルク要塞内にはイギリス軍ユニットは2枚までしか存在できないので、3個装甲師団を突入させれば、数の暴力で簡単に陥落できる。しかし、問題はそれまでの道程である。
 枢軸軍がトブルク要塞を攻撃するためには、Bil Hacheim(3223)かGazala(1803)のどちらかを占領してイギリス軍の補給物資を奪い、さらにEd Dura(5207)、Belhamed(5505)、Sidi Rezegh(5408)の全てを支配していなければ攻撃に不利な修正を被る。
 ここでは、あまりにも脆弱なイタリア歩兵師団の支援はあまり期待できない。また、豊富な機動力を持つ装甲部隊を要塞攻略に使うのは疑問符が付くが、他に決定的な戦闘力がないので選択の余地はないだろう。
 さらに英軍機械化ユニットの戦略移動を警戒したい。この戦略移動は敵ZOCで終えられるので、イギリス軍にとっては非常に強力な武器になるはずである。ZOCと常に適用されるスタック制限をうまく利用したいところである。しかし、40移動力もあるので対応は困難だろう。
 最後に休息の話であるが、「ロンメル・アット・ガザラ」はプレイング・バリエーションが非常に多いので、一概に何ターンで、ということは言えない。ただし、自発的に行えば枢軸軍ユニットは1ヘクスだけ移動でき、これは続く英軍プレイヤーターンに攻撃されないという意味であることだけは覚えていてほしい。

アフター・アクション・レポート
第1ターン
 第90軽アフリカ化師団と第15装甲師団はBil Hacheimを迂回して一気に北上、英第4機甲旅団を包囲攻撃して1/4R、アリエテ師団は移動力の関係から第21装甲師団と協同して英第3インド自動車化旅団を包囲攻撃し、1/1Rの結果を得る。いずれも包囲の修正は+2であった。
 しかし、移動フェイズには相互支援できる距離を保つために、退却した両部隊の包囲を継続するだけにした。あまり前進しすぎると孤立してしまう危険がある(包囲されると全く移動できない)し、英機械化部隊が反撃、もしくは被包囲部隊の救出に出てきてくれないものかと期待したのである。できれば、序盤のうちにBil Harmatの東に広がる開けた地形で機動戦に持ち込みたい。 
 トリエステ師団には、特別にBil Hacheimを囲む地雷原を除去する任務を与えている。町の西側から北に延びる二本の道路を遮断する形で進めたい。
 西方のイタリア軍歩兵部隊も英軍防御線まで前進、地雷原の除去に励む。ただし、第1ターンは英軍の非機械化ユニットに移動制限が与えられているので、隣接しないように機動している。
 2個の連隊ユニットは盤端まで下げて、不注意に除去されないようにした。1ステップしかないが、一応ZOCも持つ一線部隊である。少し落ち着いてから地雷除去に活躍してもらうことになるだろう。
 しかし、英歩兵ユニットの移動チェックで動けなかったのは2ユニットだけだった。敵も順調のようだ。ただ、パヴィア師団の移動は思わぬ効果があった。英歩兵ユニットはKnightsbridgeの道路を遮断されたために、大きく北を迂回している。
 問題の機械化部隊はKnightsbridge周辺に集結、こちらの誘いに乗ってくれるような素振りもない。結局、うまくたどり着いた歩兵ユニットが地雷原と断崖ヘクスをうまく利用して、Bil HarmatからKnightsbridge、El Ademのラインで防御線を構築した。

第2ターン
 機械化移動フェイズはもったいないが、そのまま戦闘フェイズに入る。前ターンと同じ形で攻撃し、特に英第3インド自動車化旅団には1/4Rの損害を与え、早くもマップ上から消すことができた。
 移動フェイズに第15、21装甲師団から偵察ユニットを分派、第90軽アフリカ師団を先頭に東へ走らせる。これを餌に補給線の遮断を恐れる英軍の出方を見てみたい。英軍にこのラインで守られると、たかだか枢軸軍の4個装甲師団では手も足も出ないのだ。このため、ヘッカー戦闘団の配置は見送った。攻勢方向も決まらないままでは、有効に使えないだろう。
 しかし、英機械化部隊は動かない……。1枚の歩兵ユニットがEl Ademの東の細い回廊に壁を作っただけである。さらに後方からは続々と部隊が到着し、防御ラインは一層堅固なものになった。もしかしたら時機を逸したかもしれないという不安が脳裏をよぎる。
 さらにパヴィア師団が周辺の英歩兵3ユニットに包囲された。悪い時には、悪いことが重なるものである。

第3ターン
 じっとしていても何も始まらないので、ヘッカー戦闘団を第15 装甲師団に配備、第21 装甲師団と共にBil Harmat北部の地雷原で守備する第22機甲旅団に攻撃を加える。攻撃は大成功、1/3Rだった。しかし、包囲されるのを恐れて、続く移動フェイズで再びNadwet El Ghsceuase付近まで後退する。
 史実ではこの時期、ロンメルは“大釜”に籠もったが、ゲームでの状況を見る限り、地雷原に囲まれて機動力を失うばかりでメリットは何も見つからない。装甲師団はマップの東側で活動すべきだろう。
 第90軽アフリカ師団は、マップ東端の断崖ヘクスを縫ってEl Duraに到達した。英軍はこの行動をあまり気にしていないようである。側面の防御が甘いように思うのだが、気のせいだろうか?

第4〜8ターン
 この時点ですでに枢軸軍は苦戦を強いられている。英軍は賢明にも史実から教訓を学び取り、機械化部隊の集中と温存をはかって、その防衛ラインは現在、彼らが選択できる最高のものである。
 当初の計画では、装甲師団はこのターンに東から進撃してくる第90軽アフリカ師団と連携して、El Ademを目指すはずであった。それまでに英機甲部隊にある程度の打撃を与えておけば、反撃も限定的な、もしくは全く控えるだろうと思われた。少し(いや、相当)甘かったようだ。
 小考の末、予定よりも順調に地雷原を除去できたBil Hacheimの攻略に着手することにした。トリエステ師団は3回の地雷原除去を全て成功させたのである。第15、21装甲師団を呼び戻し、これにアリエテ師団を加える。地雷原の効果もヘッカー戦闘団がうまく打ち消し、Bil Hacheimは第8ターンに陥落するのだが、この間両装甲師団を全く動かさなかったことが、筆者に疑問と後悔を残す結果となった。
 第90 軽アフリカ師団は逃げ場を失い、El Ademの北7マイルのところで英歩兵3ユニットに包囲されていたのである。第5ターンからは強力な第2機甲旅団が攻撃に加わり、加速度的に損害を増していった。
パヴィア師団も依然として包囲攻撃を受けているが、残念ながら救出できる見込みはない。英軍はこれに合わせて、歩兵2ユニットがサブラサ歩兵師団を攻撃してきた。たまらず退却するが、これは第15ライフル旅団の側面をさらけ出す結果となり、それは1200ヘクスまで後退を余儀なくされる。
 第6ターンからは休息のチェックをしなければならないのだが、ここでゆっくりしている暇はない。ひたすらサイコロを振る。わずか6分の1の確率である。士気、練度ともに精鋭のアフリカ軍団ならば、これくらいは大丈夫だろう。
 しかし、西方のイタリア軍は英軍の細かい機動によって地雷原除去が思うようにはかどっていない。敵ZOCだとサイコロに−1修正されるのが痛い。

第9〜13ターン
 Bil Hacheimを攻略した3個装甲師団はトリエステ師団をそこに残し、第90軽アフリカ師団が通った道をなぞるように一路東へ進路をとる。東に向かった理由は2つある。1つは前述したように、イタリア軍の地雷原除去があまりにもはかどっていないため、史実のように北西に向かっても補給線の設定が難しいこと。もう1つは英機械化師団を残してしまったことで、Knightsbridge方面からでは西側の歩兵ユニットと連携されて包囲されてしまう可能性があることである。
 これに合わせて、英機械化部隊がようやく重い腰を上げた。パヴィア師団を壊滅させた歩兵ユニットと入れ替わって、トブルクの南側に移動してきたのである。
 ドイツ装甲師団は再び偵察ユニットを分派させて、後方の警戒に当たらせる。英軍は戦闘フェイズの後に移動フェイズなので、1ヘクスずつ後退していく限り戦闘が発生する危険はない。枢軸軍のスピアの穂先はマップ端の2つのヘクス列で支えられているのだから、当然の処置と言えるだろう。
 そして、激しい戦闘がEl Ademの東で繰り広げられる。数ヘクスの回廊を守る英軍を無理矢理後退させながら前進していくのだが、目当ての機械化部隊は第1ターンに大打撃を与えた第22機甲旅団が投入されただけで、全て歩兵ユニットが防衛を担当している。第90軽アフリカ師団の包囲攻撃に使っているせいかもしれないが、機械化部隊はここでも出てこない。自動車化歩兵旅団は防御力が高いので、トブルクの攻防戦を見越して温存しているのだろうか? トブルク要塞内には2ユニットまでしか入れないので、当然、防御力の高いユニットが重宝されるのだから……。
 東西から挟撃されている枢軸軍はユニットの絶対数が足りないので、機械化移動フェイズに集中して攻撃、移動フェイズで反対側に帰っていくバック・ハンド・ブロウを繰り返す。  
 そして、第13ターンの補給状態確認フェイズに、とうとう6の目が出てしまった。強制的に休息しなければならないが、これだけがんばってくれたアフリカ軍団の将兵達に敬意を払いたい。
 また、第90軽アフリカ師団がこのターンに全滅した。

第14ターン以降
西方の英歩兵ユニットが撤退を始めた。トブルクを巡る戦いに英軍は優勢で、まだかなりのユニットがマップ上に存在しているにもかかわらずである。要所の地雷原もまだたくさん残っており、イタリア軍の浸透もそれほど深刻なものにはなっていない。少し早い気がしたが、慎重な英軍プレイヤーの考えそうなことである。もしかすると、大反抗の兆しかもしれない。
 しかし、筆者の心配は無用だった。戦後、この行動の理由を英軍プレイヤーに尋ねたところ、ユニットの数はたくさんあったのだが、その半分以上は3ステップ以下だったと語った。アントライドシステムにまんまと一杯食わされてしまった。
 その後も、英軍は2枚の歩兵ユニットを偵察ユニットの攻撃に向かわせた他は、専守防衛を貫き通す。1ターンに1回しか攻撃できないターンシークエンスと、あまりに豊富な英軍ユニットのステップ数(そして高い防御力!)に苛立ちさえ感じてしまった。どうして大戦末期のソ連軍より、1942年の北アフリカの英軍の方が強いんだ!!
 結局、最終ターンまでゲームは続けられたが、枢軸軍はトブルクの町を一度も見ることなく、第26ターンを終えたのだった。この時の第15、 21の両装甲師団はステップの約半分を失い、その圧倒的だった攻撃力はすでに影を潜めていた。

ロンメルになれなかった男
 枢軸軍の敗因はいったい何だろうか? 英軍プレイヤーの指摘は、消極的すぎた攻撃と進撃路の選択ミスであった。具体的には、第1ターンにRetimaにセットアップされている英第7自動車化歩兵旅団を取り逃がしたこととが最も大きいと言う。
 考えてみれば、英軍としては攻撃力の高い機甲旅団よりも、防御力の高い自動車化歩兵旅団の方が重宝するはずである。7防御力では、ドイツ軍機械化1ユニットでも3:1以上の戦闘比で攻撃できる。筆者は英軍の反撃(OOS状態の被包囲攻撃)を恐れるあまり、先に牙を抜こうとしたのだが、かえって敵に塩を与える結果となってしまった。
 英軍プレイヤーは続ける。
 「第7自動車化歩兵旅団の次は、Knightsbridgeの第201自動車化歩兵旅団だったね。」
 第3インド自動車化歩兵旅団を含めたこの3ユニットを除去しておけば、どこで防衛ラインを張られても、装甲師団の機動力と攻撃力で突破できると言うのだ。また、ゲーム序盤の攻撃力が豊富なうちにこれらのユニットを除去しておかないと、損害が蓄積した装甲師団では高い戦闘比で攻撃できないとも言った。
 進撃路に関しても、やはり史実のように北西へ向かってイタリア軍と対峙している英軍ユニットを脅かすのが良いようである。補給線の問題も、イタリア軍をもっと有効に使えば  東からやってくる装甲師団ともっと連携を取れば  解消するはずである。
 反省の多いプレイであったが、何も悔やむ必要はない。ゲーマーは、こうして育っていくものなのである。

最後に
 「ロンメル・アット・ガザラ」は非常に難しいゲームである。しかし、「ブダペスト1945 」を体験した方や初心者を自負する方ならば、さらなるステップアップを目指してぜひともチャレンジして頂きたい。この難易度のゲームで、これほど手軽にプレイできるゲームは少ない。
 ゲームバランスも良好である。実は今回のゲーム中、数回に分けてVPを計算したのだが、その差は常に僅かなものであった。史実通り、6月21日(第26ターン)にトブルクが陥落、または英軍の全面撤退が行われると、ドイツ軍が獲得するVPはないので、両軍とも敵に与えたステップロスがそのまま勝敗を分ける。ここで、イタリア軍の2VP/ステップが有効に機能している。
 インターネットを覗くと、1996年9月12日付けで「ロンメル・アット・ガザラ」のプレイバランスに関する意見のやり取りが見られる。
 その人物は、イギリス軍がどうやっても勝てないと言う。回答者は“私はイギリス軍で勝った”と答える。
 彼は続ける。
 「このゲームの英軍は「Port Arthur日露戦争:旅順攻略」(本誌6号付録)のロシア軍とよく似ている。たしかにイギリス軍のトブルク防衛は決して易しくはないが、ドイツ軍にもしなければならないことがたくさんあり、そして彼らには時間はない。」
 また、Green Hexrowグリーンロウに関しても、リアリティを失っているのではないかと疑問を投げかけている。たしかにBil Hacheimの自由フランス旅団が枢軸軍の補給線に深刻な影響を与えていたことは事実である。
 しかし、問題はゲームデザイナーの視点がどこにあるか、である。筆者は悪くないシステムだと思う。どのようなシミュレーションゲームでも煩雑になりがちなロジスティクスの問題であるが、プレイアビリティの向上とダイナミズムを重視した「ロンメル・アット・ガザラ」では成功していると言えるだろう。
 最近のこのシステムを使ったXTR社のゲームは、いずれもヒストリカル性を重視するあまり、プレイヤーの選択の余地が狭いものが多かった。しかし、「ロンメル・アット・ガザラ」は違う。これは枢軸軍がまだ戦争のイニシアティヴを持っていた大戦初期の戦いをシミュレートしたものであるからだろう。ゲームに対して、プレイヤー  指揮官  の手腕が大きく反映される。まさしく、砂漠の狐  エルウィン・ロンメル  にふさわしい舞台ではないだろうか。
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更新日 : 2000/08/17 .