戦車の曙

アミアン攻勢がドイツ軍にもたらした影響とは
  『<JPW>The Black Day of German Army』アフターアクションレポート (8号)


 一九〇〇年六月二四日、一発の銃弾がハプスブルク王朝の後継者フランツ・フェルディナント大公の命を奪った。今日でいうサライェヴォ事件である。
 これをきっかけにヨーロッパ各国間の緊張が一挙に高まった。一ケ月後にはオーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告。しかし、本当の戦争が始まったわけではなかった。彼らは威信を保ちたかっただけなのである。
 バルカン半島の保護者ロシアは、ドイツに後押しされたオーストリア=ハンガリーのこの動きに、指を加えて見ているわけにはいかなかった。総動員を行った。自国の体面を保つためには、これしか方法がなかった。しかし、少なくともロシアも戦争を望んでいなかった。
 ドイツはロシアの脅威を感じた。不幸なことに、軍部は防御が日進月歩で強力になっている事実に目を向けなかった。日露戦争やバルカン戦争から何も学んでいなかった。当時、攻撃こそ近代戦において、最高に有効な手段であると考えていた彼らは、迷わずロシアに宣戦布告した。
 その二日後、同じようにフランスにも宣戦布告した。彼らは東西の二正面で戦うことを恐れたのだ。先にフランスを打倒しようと考えた。
 こうして第一次世界大戦が始まった。
 ヨーロッパの諸国民は戦争に熱狂した。この戦争は、ほんの一握りの賢明な者たちを除いて、誰もがクリスマスまでに終わると考えていた。
 しかし、なぜドイツは戦争の道を選んだのだろうか? 当時、ドイツは英仏とは比較的友好な関係にあり、近いうちに経済力だけでヨーロッパの覇権を手に入れることは明白であったのに…。
 時は一九一八年。戦争は四年目に入っていた。フランスはまだ戦っていたが、ロシアは自分だけ勝手に戦争を終わらせていた。ドイツの無制限潜水艦戦に激怒したアメリカが参戦した。戦車、航空機、毒ガスといった新しい兵器が続々と登場した。今や戦争はドイツ対イギリスの様相を呈し、永遠に続くと思われた。
 
アミアンの戦い
 読者の方々も、名前くらいはご存じだろうか。一九一八年八月八日に始まった、アミアン東部の連合軍の攻勢である。
 有名なA.J.P.テイラーの著書『第一次世界大戦』にはこう記されている。
 
 ……。ヘイグは自分の立場を好転させるために局部的な移動をもくろんだ。彼の直接の関心はアミアンの東で鉄道を解放することにあった。カナダ軍がドイツの新しいやり方そのままに、秘かに移動させられた。これを助けたのは、第一次世界大戦が生んだ唯一の創意性ある将軍サー・ジョン・モナシュに率いられたオーストラリア軍であった。八月八日になると、イギリス軍が攻勢に出た。かれらはやっとカンブレの教訓を学んでいた。四五六台の戦車を使った。濃い朝霧が一役を演じた。イギリス軍はたっぷり六マイル前進した。それから、いつものように抵抗が強まった。戦車は騎兵よりも早く進み、歩兵は双方のあとをぐずぐずと付いていった。……
 
 この戦いは戦略的に見て、ドイツ軍はそれほど致命的な損害を被ったわけではない。しかし、アミアン攻勢は、戦後ドイツの将軍ルーデンドルフに「八月八日はドイツ軍最悪の日」と言わしめた。なぜか? そう、前線のドイツ軍兵士はおろか、ルーデンドルフまでも心理的に敗北に追い込んだのである。彼らはドイツに勝算のないことを初めて認識したのだ。その証拠にルーデンドルフはこの戦いから一週間後に、ドイツの勝利によって、世界中を席巻したこの愚かな戦争に終止符を打つことは不可能と判断している。
 連合軍は、ルーデンドルフの、クラウゼヴィッツの言うところの「精神的戦闘力」を撃滅させることに成功したのである。
 この戦いに関しては、原書房から『戦車大突破』(D.オーギル著/千二百円+消費税)という本が発売されている。前述したテイラーの『第一次世界大戦』も入門書として最適である。フジ出版社からも、リデル・ハートが著した『第一次世界大戦』が出版されていた。戦況図や資料も付いていて非常に有用なのだが、今では入手困難である。
 
 そして『ブラック・デイ・オブ・ジャーマン・アーミー』 アミアンの戦いは七八年を経た今、パシフィックリム社の手によって、22´×19´のマップと一〇〇個のユニットで再現された。
 ルールブックは英文でわずか8ページで、しかも字が大きい。ちょっと英語に自信のある方は三○分もあれば読んでしまうだろう。
 四ターンで一日(昼間ターンは一ターンが五時間)、一ヘックス一qというスケールである。
 戦車ユニットは大隊規模、歩兵、騎兵ユニットは師団規模となっている。アメリカ第三十三歩兵師団がフランスの国旗のように、赤、白、青のトリコロールカラーになっているのが目を引く。
 地図盤はアミアンから六マイルほど東に行ったところのものである。『1918』でいうとヘックス二三三六だろう。中央部分を東西にソンム川が流れ、西側を南北に両軍の塹壕線が対峙している。
 ターンシークエンスは砲撃〜移動〜戦闘を繰り返す非常にオーソドックスなもので、全八ターンで攻勢直後の二日間をシミュレートしている。 八月八日と言えば『1918』では第十ターンである。『1918』のルールを読んでもらえればわかるが、ドイツ軍の突撃部隊ユニットは通常の歩兵ユニットと交換され(これによってドイツ軍部隊は事実上浸透移動できなくなる)、協商軍部隊が制限はあるものの浸透移動できるようになる。ドイツ軍の荒波は砕かれ、今まさに協商軍の反撃の火蓋が切られようとしているところなのである。
 ゲームルールを十分に理解していただくために、簡単ではあるが、実際にシークエンスを追いながら紹介していくことにする。

一)航空戦力決定フェイズ
 第一次世界大戦に登場した新兵器の一つは航空機である。大戦初期は偵察を主任務としたが、後半はそれを撃墜するための戦闘機が開発され、空中戦を演じるまでになった。一九一八年四月一日に、イギリスが世界で初めての独立空軍“RAF”を創設したのは有名である。
 協商軍プレイヤーはサイコロを一個振って、航空戦力チャートで航空ポイント(〇〜六ポイント)を決定し、地上部隊の戦闘支援(一航空ポイント=五戦闘力)、もしくは砲撃の観測(砲撃の二種類のチャートで、サイコロの目に+一できる)として使用できる。

二)砲撃フェイズ
 第一次世界大戦中、最も兵士たちの命を奪った残酷な兵器である。機関銃よりも強力で、死傷者一〇〇万人当たりで、少なくとも五八%はこの「刈り取り機」の仕業と言われている。また、砲撃で穿たれた穴が敵の塹壕掘りに利用されたり、自軍部隊の進撃を遅らせていたというのはなんとも皮肉な話である。
 両軍は毎ターン与えられる砲撃ポイントを、対砲兵射撃と集中砲撃の両方、またはどちらかに使用する。対砲兵射撃は続く敵プレイヤーターンの砲撃ポイントを減少させる。集中砲撃は文字通り敵部隊の頭上に砲弾の雨を降らし、部隊を混乱させたり(ゲームではピン状態という)、減耗(ステップロス)させることができる。ピン状態になると、戦闘で不利になったり、移動力が減少してしまう。

三)移動フェイズ
 ユニットを実際に動かすわけであるが、敵ユニットに隣接するとそこで停止しなければならない。
 戦車ユニットは塹壕を追加移動力なしで踏み越せるたりのだが、移動するたびに故障チェックをしなければならない。確率は六分の一と低いもので、アミアンの戦いに投入された戦車の約三分の二が故障した事実を考慮すると、そのリスクはかなり軽減されているように思われる。一度目の故障はステップロス、二度目の故障ではユニットの上に故障マーカーが置かれ、移動と攻撃が不可能になる。
 ドイツ軍は自軍歩兵師団を額面数値の違いによって、二〜四個連隊に分派できるようになっている。ただし、連隊ユニットは九個しかなく、それが分割の限界個数になっている。戦略移動を行うと移動力が三倍になる。ただし、敵ユニットから二ヘックス以内に接近できないなどの制限が設けられている。
 最後に、スタック制限として、一つのヘックスには一個歩兵師団と二個戦車大隊までしか置けないことになっている。

四)戦闘フェイズ
 隣接している敵ユニットを攻撃することができるわけだが、戦闘結果表はステップロスが中心で、WW・特有の消耗戦を演出している。
 戦闘比は防御側のいる地形、戦車と連携(スタック)している、混乱状態にあるといった要素で変動するが、攻撃側は四対一以上でないと十分な戦果は望めない。EX(引き分け)の結果では、防御側は一ステップロスだが、攻撃側は二ステップロスしなければならない。
 第一次世界大戦では、損害を多く出すのは決まって攻撃した側であった。なぜか? 一つには鉄道があげられる。防御側は、攻撃側が徒歩で前進するよりも速く、鉄道で予備兵力を投入できた。防御側だけが機械化されていたのである。
 そして、猛砲撃と機関銃である。機関銃の重要性にいたっては、ロイド・ジョージが一九一五年の軍需相時代に、一大隊当たり六四丁の機関銃を配備するように指示したことからも証明できる(しかし、実際には生産が追いつかず、終戦前でも四三丁ずつしか配備されなかった)。
 戦車ユニットは戦闘後前進が二ヘックスできる。しかし、ここでも故障チェックが必要である。

五)ピンマーカー除去フェイズ
 ピン状態のユニットの上に置かれていたマーカーを取り除くことによって、ユニットが回復したことを示す。
 
 この一〜五までの手順を両軍プレイヤーが行って、一ターンが終了する。これを単純に八回繰り返すわけである。
 第四ターン終了時には両軍ユニットの補給状態がチェックされる。両軍ともマップ端まで補給線を繋げられなければ非補給状態となって、そのユニットの戦闘力と移動力が減少する。
 故障した戦車の修理もここで行われる。成功する確率は三分の二で、直らなければこの時点でマップ上から除去される。
 勝利条件は、主に協商軍ユニットのドイツ軍戦線の突破の度合いによって決定される。協商軍ユニットがゲーム終了時にマップ東端から盤外へ突破していれば五VP、ソンム川より南でXX〇九列以東にいれば三VP、XX一二列以東にいれば二VP、XX一四列以東にいれば一VPを獲得できる。これはすべて一ユニットごとである。
 ドイツ軍はXX一四列以西にいれば一ユニットごとに一VPを獲得できる。
 この結果が一四点以下ならばドイツ軍の圧勝、一五〜二九点ならばドイツ軍の辛勝、三〇〜四九点ならば協商軍の辛勝、五〇点以上ならば協商軍の圧勝と規定されている。
 
アフター・アクション・レポート
 今回のレポートは、協商軍を松家進氏に、ドイツ軍を筆者が担当させていただいた。
 では早速、一九一八年八月八日にタイムスリップしようではないか。 

 セットアップは両軍ともヘックスが指定されており、そのほとんどは塹壕線に沿って配置される。
 約二〇マイルの戦線を守備するドイツ軍一五個師団に対して、イギリス軍一六個師団、一一個戦車大隊、フランス軍七個師団、二個戦車大隊が襲いかかろうとしている。ざっと見積もっても、二倍以上の戦力である。
 ドイツ軍はセットアップ時にすでに三個師団が分割された状態にあるが、この他にも制限一杯(九個連隊ユニット)まで分割でき、それらを指定されたヘックスかその隣接ヘックスに配置できる。しかも戦線を見渡すと、簡単に包囲されてしまう部隊がある。第一〇八、第二二五、第一四(ババリア軍)歩兵師団を分割することにした。
 ドイツ軍は突出部の地域をできるだけ速やかに放棄して戦線の縮小をはかり、予備兵力を抽出することが(ゲーム上の)勝利への鍵だろう。 なお、セットアップの位置を四五一七と四五一八のどちらかに選択できる第一三歩兵師団は、後者の位置に配置した。
 
■第一ターン
協商軍プレイヤーターン
 協商軍の攻勢が始まった。突撃前の猛砲撃で第一三歩兵師団が損害を受け、第二二五歩兵師団所属の一個連隊も混乱した。しかし、これはこれから始まるドラマの序章にすぎなかった。
 協商軍の戦略は戦線突出部の頂点とその北側の屈折部に集中して、その間の戦線の一辺を削り取ろうというものである。
 攻撃は砲撃の影響を被っている第二二五歩兵師団と第一三歩兵師団に指向された。この二ケ所から突破して、その内側にいる第四一歩兵師団と第一一七歩兵師団を包囲しようというのだ。
 ソンム川の北でも第五四歩兵師団が砲火にさらされ、二個連隊が壊滅、残った一個連隊も包囲された。
 ドイツ軍の抵抗は非常に弱いもので、イギリス軍は次々と敵部隊を撃破し、苦もなく戦線を突破していった。戦車一個大隊に損害が出ただけであった。
 しかし、フランス軍はそうはいかなかった。二つの地点で行った圧倒的有利と思われた攻撃が、いずれも膠着状態に陥り、両軍とも損害を増やすばかりであった。
 
ドイツ軍プレイヤーターン
 戦線全体を襲った協商軍の波は、マップ中央部のドイツ軍部隊をさらっていき、その幅はなんと一五マイルにも渡った。ところどころに包囲されたドイツ軍の師団や連隊が、孤島のように浮かんでいる。
 ドイツ軍は、当然のことながら、この広く開いた戦線の穴(なんともとてつもない穴である)を埋めるのに忙殺させられることになった。最前線の塹壕線に配備されていた戦力の約五〇%が、朝の攻勢で失われるか包囲されていた。
 戦線突出部の頂点にいたババリア軍第一四歩兵師団所属の生き残った二個連隊を、フランス軍の二個戦車大隊の進撃を鈍らせるために接敵させる。なんらかの方法で(今回の場合は尊い人命の犠牲という形で)戦車の進撃を鈍らせないと、後方にある第二塹壕線も突破されてしまう恐れがあった。
 ソンム川の北ではSailty-Lovette付近にいた第二七歩兵師団を四個連隊に分割、第二塹壕線を目指して後退するが移動力が足りない。
 壊滅した第五四歩兵師団が受け持っていた戦区には第二三三歩兵師団の一部を移動させた。
 とにかく戦力の温存をはかって、防御ラインを再構築しなければならない。一時的に大きく後退させると、これに追いつける協商軍部隊は戦車だけである。戦車を歩兵部隊と離し、また移動するたびに故障チェックを強いることによって、戦車戦力を少しずつでも削ることができるかもしれない。
 
■第二ターン
協商軍プレイヤーターン
 霧のターンにもかかわらず、協商軍は航空ポイントを二ポイント得た。 再び砲弾の雨が、今度は戦線中央部で孤立しているドイツ軍第一一七歩兵師団の兵士たちの頭上に降りかかった。航空機による観測のせいか、森にいるにもかかわらず、砲撃は非常に正確で、かつ強力であった。第一一七歩兵師団は甚大な損害を被り、混乱した。
 イギリス軍部隊は容赦なく攻撃を続ける。砲撃で打撃を受けたドイツ軍第一一七歩兵師団は数個師団の攻撃を受けて壊滅した。
 その北東にいた第四一歩兵師団も、前のターンにイギリス軍戦車が戦闘後前進によって塹壕線を突破、後方に回りこんでいたために、身動きが取れなくなっていた。戦闘結果は両軍とも一ステップロスであった。
 この他にも、各地で激戦が繰り広げられたが、イギリス軍はほとんど損害を受けずに進撃することになった。
 フランス軍はこのターンも進撃速度は鈍かった。前のターンに被った損害が響き、思ったように戦力を集中できないでいる。結局、戦車大隊の前に立ち塞がったババリア軍第一四歩兵師団所属の一個連隊を壊滅させただけに終わった。
 イギリス軍の一個歩兵師団と一個戦車大隊が増援で駆けつけた。戦略移動でhamel(四一一八)に移動する。
 このターン、イギリス軍戦車一個大隊が故障で戦列を離れた。
 
ドイツ軍プレイヤーターン
 お返しとばかりに砲撃でHangard(四八二二)のイギリス軍二個戦車大隊を混乱させた。焼け石に水のような気もするが、ドイツ軍が取り得る積極的行動といえば、この程度である。
 このターンには三個歩兵師団が増援としてマップ端から登場する。これらの部隊は、戦略移動で西に向かわせる。
 イギリス軍は包囲したドイツ軍部隊の掃討にまだ少し時間が必要なようで、あまり前進してこない。もしかすると、戦車部隊の孤立を恐れているのかもしれない。それとも出遅れたフランス軍と歩調を揃えるためだろうか? とにかく、最前線で包囲されている部隊が、多くの敵部隊を引き付けているのは事実である。この時間を決して無駄にしてはいけない。
 フランス軍戦区ではババリア軍第一四歩兵師団所属の最後の一個連隊を、またしてもフランス軍部隊の前面に配置する。
 
■第三ターン
協商軍プレイヤーターン
 太陽は傾き始め、すでに霧は晴れていた。航空ポイントは六だった。 砲撃の照準はWiencourt L'Equipee(四七一五)という村に合わされた。そこにはドイツ軍第一〇九歩兵師団がいた。しかし、実質的な損害は生じず、兵士たちに若干の混乱が生まれたのみであった。
 協商軍はまだ、朝に食べた獲物を飲み込めずにいた。いくつかのところで、頑強に抵抗しているドイツ軍部隊があった。Marcelcave(四六一八)の東の第四一歩兵師団と第一〇八歩兵師団所属の一個連隊である。包囲されているというものの、彼らの隠れている塹壕は強力であった。しかし、度重なる戦闘に疲労しきっていたドイツ軍部隊の命運はここで尽きた。
 フランス軍はすでに攻勢能力をなくしていた。度重なる失敗によって、全七個歩兵師団のうち、四個までが戦力減少状態であった。このターンの彼らの唯一の攻撃はMoreuil(五五二三)の北にいるババリア軍一個連隊を壊滅させた。
 戦車部隊は勇敢に大きく前進し、Beaucourt(五一一七)に突入、ドイツ軍の防御ラインの形成にプレッシャーをかける。
 
ドイツ軍プレイヤーターン
 第二ターンに増援三個歩兵師団が到着する。このおかげで、イギリス軍戦区では戦線を張る計算が成り立った。しかし、インフルエンザの影響で弱体している部隊がほとんどなので、長くは持ち堪えられないだろう。
 フランス軍の戦車大隊が第二塹壕線を踏み越して、Cayeux(四九一七)のすぐそばまで移動してきた。このため、この部分だけ塹壕線を利用して防御できなくなってしまった。
 
■第四ターン
協商軍プレイヤーターン
 このターンも航空ポイントは多かった。四ポイントである。
 再びWiencourt L'Equipee(四七一五)ドイツ軍第一〇九歩兵師団が砲火を浴びた。今度の照準も正確だったが、戦闘力に影響を及ぼすほどではなかった。しかし、二度に渡る猛砲撃でドイツ兵たちは、そして前線の指揮官たちでさえも恐怖に捕らわれた。
 イギリス軍はすぐにやってきた。二個歩兵師団と四個戦車大隊が、砲撃で廃墟と化した村に殺到した。すでに午前中の戦闘で多くの戦闘員を失っていた部隊には、その攻勢に耐えるだけの余力は残っていなかった。 ソンム川の南のイギリス軍が行った攻撃は、これが唯一のものだった。ここ以外では戦力が集中できなかったのである。第二塹壕線の向こうで待ち構えるドイツ軍は、まだもう少しだけ向こうにいた。いくつかの戦車大隊も損害が目立つようになってきているので、単独で攻撃させるわけにはいかない。
 ソンム川の北では、ゆっくりではあるが、順調にイギリス製スチームローラーが動いている。
 フランス軍は増援の三個歩兵師団が戦列に加わり、再び力強い進撃を開始した。
 
ドイツ軍プレイヤーターン
 あいかわらず防御ラインを充実させるのに、四苦八苦する。
 フランス軍戦区では協商軍の攻勢が始まって以来、頑強に抵抗していた第一九二歩兵師団(五六二二)を分割し、第二塹壕線まで後退させる。 イギリス軍戦区では、特にソンム川の南では現有戦力では対抗できないと判断、全軍退却して次のターンに登場する五個歩兵師団と合流して防衛に当たろうと決心した。みすみす塹壕線を放棄してしまったが、このままでは第一ターンの二の舞になる危険が充分に感じられた。
 ソンム川の北の残存兵力も、四個連隊に減っていた。次のターンにはEtinehem(三八〇九)を軸にして、防御ラインを後退させていくことにする。第五ターンの増援が来るまでなんとか持ち堪えることができるだろう。

 

※     ※     ※

 このターンの終了をもって、八月八日が終了した。ルールブックに、両軍部隊の補給状態と故障マーカーの置かれた戦車ユニットの修理可否をチェックするように規定されている。
 この時点で、補給源(自軍側マップ端の全ヘックス)まで補給路が繋がっていない「非補給状態」判定されたユニットは、以後のターンに補給路が繋がるまで、戦闘力が二分の一(端数切り上げ)、移動力が−一される。
 しかし、両軍とも補給路から隔絶された部隊はなかった。
 故障マーカーの置かれた戦車ユニットは一個だけで、第二ターンからHangard(四八二二)で立ち往生していた。夜も更け、戦車は修理不可能と判断された。ユニットは除去された。


※     ※     ※

■第五ターン
協商軍プレイヤーターン
 航空ポイントは二ポイント。しかも、このターンから協商軍の砲兵ポイントが、二〇から一二、ドイツ軍のそれは五から三に減少した。悔しがる松家氏であった。
 砲撃はMorcourt(四二一二)の南にいた第二六R歩兵師団に対して行われた。なんの遮蔽物もないところで、地面に這いつくばった兵士たちが次々と天に召されていった。最前線から三マイルも後方にいた兵士たちは、まさか自分たちが砲撃にさらされるとは思っていなかった。
 肩透かしを食らったイギリス軍は黙々と前進する。足の速い戦車部隊がMorcourt(四二一二)、Bayonvillers(四五一四)、Guillaucourt(四七一四)まで進出した。
 フランス軍戦区では、戦車大隊が逃げ遅れたドイツ軍第一九二歩兵師団所属の二個連隊の背後を襲い、Plessier-Bozainvillers(五六一九)で包囲を完成した。
 
ドイツ軍プレイヤーターン
 砲撃ポイントが減ったのは、ドイツ軍にとって朗報である。
 しかもこのターンには、待ちに待っていた増援の五個歩兵師団が登場する。早速、戦略移動で各方面に展開させる。
 この頃になると、ドイツ軍の防御ラインはXX一四〜XX〇九列にあった。このあたりはマップ端から登場する増援部隊が、一回の戦略移動で到達できる距離であるが、防御に有利な地形がほとんど存在しない。敵主力の位置を十分に検討し、防御ラインの整備を行う。攻勢が予想されるところには強力な部隊と後方に予備兵力を展開させた。
 勝利条件のVPはXX一四列からとなっているので、これ以上防御ラインを下げることはできない。ここを守り切れるかが、勝利の鍵になるだろう。
 
■第六ターン
協商軍プレイヤーターン
 航空ポイントは五ポイント。
 砲撃もRosieres(五〇〇九)北のドイツ軍第二二一歩兵師団に行われ、確実に損害を与えた。
 イギリス軍の前に、ドイツ軍は影さえも見えなかった。しかし、勝利の光が見えてきた。すでに協商軍はXX一四列の一VPラインを突破し、まだまだ充分な戦力を保有している。 歩兵部隊が塹壕線を越えるのに苦戦していることに、業を煮やす松家氏であったが、周知のようにこの時代の歩兵は徒歩行軍を行っているのでしかたがない。
 イギリス軍はHarbonmeres(四六一一)、Caix(四九一二)を通過した。二VPラインに突入した。
 フランス軍はPlessier-Bozainvillers(五六一九)で包囲したドイツ軍第一九二歩兵師団所属の二個連隊を攻撃、壊滅させた。この攻撃でも、フランス軍は全軍の三分の二を投入しなければならなかったので、進撃がかなり遅れることとなった。
 
ドイツ軍プレイヤーターン
 この頃になると、このアミアン攻勢が史実同様に前線兵士たちの士気を挫いたのか、たとえ低い確率でも損害を被ってしまう。ドイツ軍の兵士たちは、自国の勝利が自分たちの手ではどうにもならないことを悟ったのだろうか? 
 ここで現在のドイツ軍の戦線を簡単にまとめてみたい。
 フランス軍戦区は二個歩兵師団の合計六個連隊で、Erches(六〇一一)からRosieres(五〇〇九)までの線で守備している。
 そこからソンム川までは、四個歩兵師団(ババリア軍師団一個含む)がRosieres(五〇〇九)からSuzanne(三六〇四)の線に展開している。ソンム川の北には三個歩兵師団がいる。だいたいSuzanne(三六〇四)からMontauban(三〇〇三)の線である。
 師団はいずれも脆弱で、九個ある連隊ユニットはすべて使用されている。ソンム川の南ではもう少し押しあげないと、余分なVPを取られかねない。次のターンのイギリス軍の移動を見てから考えることにする。 

■第七ターン
協商軍プレイヤーターン
 このターンの砲撃もRosieres(五〇〇九)北のドイツ軍第二二一歩兵師団に行われた。彼らはアミアンに来てまだ短かったが、早く戦争が終わることを望んでいた。早くドイツへ帰りたかった。しかし、二度と祖国の土を踏むことはなかったのである。第二二一歩兵師団は壊滅した。 ドイツ軍の戦線の中央部に三マイルの穴が開いた。そこへイギリス軍がなだれこんできた。両翼にいた第一R歩兵師団所属の連隊と、第三八歩兵師団が瞬く間に飲み込まれた。ドイツ兵たちは殺されるか、捕虜になるかの究極の選択を迫られた。戦線の穴がいっそう広がった。そして、第三八歩兵師団の北にいたババリア軍の連隊も、攻撃を受け、全滅した。協商軍の攻勢が終わった時、戦線の穴は六マイルになっていた。
 フランス軍には、イギリス軍の大進撃も関係のない話だった。ドイツ軍プレイヤーの巧みな移動によって、後一ヘックスが届かなかった。第五六歩兵師団が、唯一Erches(六〇一一)のドイツ第一R歩兵師団所属の一個連隊に接敵できたが、彼らだけでは充分な攻勢をとることができなかった。
 
ドイツ軍プレイヤーターン
 ドイツ軍に予備兵力は二個連隊しかなかった。ぽっかりと開いた穴に埋めるものとしては無力に等しかった。
 ドイツ軍プレイヤーである筆者はこの時点で降参を申し入れ、協商軍プレイヤーの松家氏はそれを快く受け入れた。
 かつてのルーデンドルフもきっと同じ気分を味わったに違いない。しかし、過去の世界の中で彼の双肩には何十万、いや何百万の人々の、本当の命が委ねられていたのである。

まとめ
 今回の協商軍の勝因は、その理由として戦車の故障が極端に少なかったこと、航空ポイントが豊富であった、砲撃が有効だったことが挙げられる。
 協商軍が失った戦車は二ユニットであった。移動するたびに六分の一の危険が伴うことを考えると、驚異的な確率である。
 また、航空ポイントが豊富であったために、砲撃観測に多くのポイントを費すことができた。その結果、砲撃は非常に効果的にドイツ軍に損害を与え他。それはゲーム後半にボディーブローのように効いて、筆者はいっそうの部隊不足で悩むことになった。
 フランス軍の攻勢は遅々たるものであったが、史実を見ても同じようなものである。主役はBEFであり、その戦車である。
 このゲームをプレイした結果、アミアン攻勢は戦車がなければ、必ず失敗していたと確信するに至った。 
 『ブラック・デイ・オブ・ジャーマン・アーミー』は、第一次世界大戦の雰囲気をよく捕らえた秀作である。協商軍の一方的な攻勢で終始する展開ではあるが、ドイツ軍を担当するプレイヤーにも非常に楽しめるものになっている。
 マップが小さく、ユニットも少ないので、初心者向けのゲームかと思ったものだが、ベテランゲーマーにも充分満足していただけるだろう。 協商軍はドイツ軍の戦線の弱いところを攻撃して突破、包囲を繰り返す。しかし、当時、このような戦術は確立されておらず、まだまだ正面攻撃を行う傾向が強かった。現にフォッシュもそれを強行しようとした。それに、戦車戦術も試行錯誤を繰り返していた。協商軍は数マイル進むのに一〇万人の犠牲が必要だったのである。
 
 読者の方々には、このゲームを通じて、ぜひとも歴史の再考をしていただきたい。少しでも真実を知り、現実に目を向けるのである。我々は一般の人々よりも戦争に関して、より深く、より正しく理解することができるはずである。シミュレーションゲームを愛好する者は、戦争と平和というものをよりいっそう考え及ぶべきではないだろうか。
 


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更新日 : 2000/08/17 .